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小泉信三の話 [徒然雑感]

TVで放映していた番組で「小泉信三」を特集していた。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)に寄ると以下の通りである。

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小泉 信三(こいずみ しんぞう)

1888年(明治21年)5月4日 - 1966年(昭和41年)5月11日)は

日本の経済学者(経済学博士)。位階は正三位。

東宮御教育常時参与として皇太子明仁親王(第125代天皇)の教育の責任者となる。

1933年(昭和8年)から1946年(昭和21年)まで慶應義塾長。

日本聖公会のクリスチャン[1]。父は慶應義塾長(1887年(明治20年)

- 1890年(明治23年))や、横浜正金銀行支配人などを歴任した

小泉信吉(こいずみ のぶきち)。

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今の世でも随分なエリートになる。

その小泉信三には聡明な息子がおり、小泉もその行く末を大いに期待していた。

しかしながら、戦時下にあって徴兵され、僅か24歳でこの世を去った。

滅多に自らの感情を外に出さない小泉が、この息子を亡くした慟哭だけは、

晩年に記した自らの記録の中に2文字だけ書き遺していたという。

戦後、小泉は当時の昭仁親王(皇太子、今の上皇陛下)の教育係となる。

その顔合わせで総勢7人のささやかなお茶会が開かれた。

勿論、主賓は昭仁親王である。その初顔合わせの時における小泉の昭仁親王の記述が面白い。

「くりくりと動く黒い眼を興味があるものになると、より一層輝かせ、更にくりくりとさせる。

実に聡明な若者とお見受けする。お尻がプリプリと可愛く動いていた。」

(正確には覚えていないのだが、おおよそこのような文言)

この最後の「お尻がプリプリと」というような発言が許される、って、そんなに
自由な時代だったのかしらん・・??

TVの番組を作った方も「ここ」を強調したかったらしい。

皇太子は当時13歳だったというけど、未来の天皇と初顔合わせでこんな発言・・!?

つまり、発表した文章や、正式に何かに記載したものでは無かった、ということなの
かしらん・・??






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「1月31日」締切で、成年後見監督人の弁護士に郵送すべきだった「成年後見報告書」も
まだ出来ていない・・!!

「2月15日}締切で、顧問税理士に郵送すべきだった「確定申告」の資料2人分
(母の分とワタクシの分)も、まだ出来ていない・・!!


今頃迄には「出来上がっている予定」で、用心はしながら、だったが、既に幾つかの
外せない用事(病院、クリニック、等)、約束が幾つか入っている。

「pcを少しだけ」なんて思って、開いてしまうと、ついついブログページで時間を
過ごしてしまう。

「気晴らし」「気休め」に、なんて言い訳しながら。。

そこで、ここは心を鬼にして(?)自らに「ネット禁」を課すか?

とも思ったのだが、WordとExcelは嫌でも使わざるを得ない。
つまり毎日、pcを開く。

で。
基本、お邪魔するだけで「コメントは書かない。我慢する!」
時間と相談で可能な時だけ「nice!」と押す時があるかもー?

と、ちょっと自分に甘々だが、出来ない課題を課すよりは良いかと軟弱者は思う。。

そういうわけで、暫く適当にお休みしながら、こちょこちょ「nice!」だけ押しに
やって来るかもしれません。。ご容赦下さい。。
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