やっとね。。 [徒然雑感]
「成年後見報告書」が一応出来ました。
これを後見監督人である弁護士に郵送して、そこで精査されて、
‘OK‘が出れば、法務局に提出されて今年も無事終了、となるのですがー。
精査の結果待ちです。
ひと息つきたいところですが、「確定申告」もお尻に火がついています。
こちらは顧問税理士に、母の分とワタクシの分の資料をまとめて郵送します。
毎年「遅くても2月中に」と言われていて、それが守れなくて3月に
ずれ込んでいます。
なんだって、2つしかない大きな書類が2つ共、同じ時期の提出になって
しまったのか・・!!ホントにもう・・!!
多分に神経的なものでしょうが、この時期はいつもかなりの腹痛に悩まされます。
それも1月半ば頃から2月半ば頃迄の約1ヵ月間。。長いです。。
まさにちょうどこれらの書類と奮闘している時期にぴったりです。
加えて花粉症もあり、今年はどちらもかなり酷いです。
更に一昨年から去年のお正月にかけて罹患したコロナの後遺症らしき
口内感染症があり、こちらもまたきついです。
感染症に良く効くという薬を服用すると覿面、腹痛が酷くなります。
ともあれ「確定申告」を急がなくては!!
小泉信三の話 [徒然雑感]
TVで放映していた番組で「小泉信三」を特集していた。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)に寄ると以下の通りである。
*********
小泉 信三(こいずみ しんぞう)
1888年(明治21年)5月4日 - 1966年(昭和41年)5月11日)は
日本の経済学者(経済学博士)。位階は正三位。
東宮御教育常時参与として皇太子明仁親王(第125代天皇)の教育の責任者となる。
1933年(昭和8年)から1946年(昭和21年)まで慶應義塾長。
日本聖公会のクリスチャン[1]。父は慶應義塾長(1887年(明治20年)
- 1890年(明治23年))や、横浜正金銀行支配人などを歴任した
小泉信吉(こいずみ のぶきち)。
*********
今の世でも随分なエリートになる。
その小泉信三には聡明な息子がおり、小泉もその行く末を大いに期待していた。
しかしながら、戦時下にあって徴兵され、僅か24歳でこの世を去った。
滅多に自らの感情を外に出さない小泉が、この息子を亡くした慟哭だけは、
晩年に記した自らの記録の中に2文字だけ書き遺していたという。
戦後、小泉は当時の昭仁親王(皇太子、今の上皇陛下)の教育係となる。
その顔合わせで総勢7人のささやかなお茶会が開かれた。
勿論、主賓は昭仁親王である。その初顔合わせの時における小泉の昭仁親王の記述が面白い。
「くりくりと動く黒い眼を興味があるものになると、より一層輝かせ、更にくりくりとさせる。
実に聡明な若者とお見受けする。お尻がプリプリと可愛く動いていた。」
(正確には覚えていないのだが、おおよそこのような文言)
この最後の「お尻がプリプリと」というような発言が許される、って、そんなに
自由な時代だったのかしらん・・??
TVの番組を作った方も「ここ」を強調したかったらしい。
皇太子は当時13歳だったというけど、未来の天皇と初顔合わせでこんな発言・・!?
つまり、発表した文章や、正式に何かに記載したものでは無かった、ということなの
かしらん・・??
*********
「1月31日」締切で、成年後見監督人の弁護士に郵送すべきだった「成年後見報告書」も
まだ出来ていない・・!!
「2月15日}締切で、顧問税理士に郵送すべきだった「確定申告」の資料2人分
(母の分とワタクシの分)も、まだ出来ていない・・!!
今頃迄には「出来上がっている予定」で、用心はしながら、だったが、既に幾つかの
外せない用事(病院、クリニック、等)、約束が幾つか入っている。
「pcを少しだけ」なんて思って、開いてしまうと、ついついブログページで時間を
過ごしてしまう。
「気晴らし」「気休め」に、なんて言い訳しながら。。
そこで、ここは心を鬼にして(?)自らに「ネット禁」を課すか?
とも思ったのだが、WordとExcelは嫌でも使わざるを得ない。
つまり毎日、pcを開く。
で。
基本、お邪魔するだけで「コメントは書かない。我慢する!」
時間と相談で可能な時だけ「nice!」と押す時があるかもー?
と、ちょっと自分に甘々だが、出来ない課題を課すよりは良いかと軟弱者は思う。。
そういうわけで、暫く適当にお休みしながら、こちょこちょ「nice!」だけ押しに
やって来るかもしれません。。ご容赦下さい。。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)に寄ると以下の通りである。
*********
小泉 信三(こいずみ しんぞう)
1888年(明治21年)5月4日 - 1966年(昭和41年)5月11日)は
日本の経済学者(経済学博士)。位階は正三位。
東宮御教育常時参与として皇太子明仁親王(第125代天皇)の教育の責任者となる。
1933年(昭和8年)から1946年(昭和21年)まで慶應義塾長。
日本聖公会のクリスチャン[1]。父は慶應義塾長(1887年(明治20年)
- 1890年(明治23年))や、横浜正金銀行支配人などを歴任した
小泉信吉(こいずみ のぶきち)。
*********
今の世でも随分なエリートになる。
その小泉信三には聡明な息子がおり、小泉もその行く末を大いに期待していた。
しかしながら、戦時下にあって徴兵され、僅か24歳でこの世を去った。
滅多に自らの感情を外に出さない小泉が、この息子を亡くした慟哭だけは、
晩年に記した自らの記録の中に2文字だけ書き遺していたという。
戦後、小泉は当時の昭仁親王(皇太子、今の上皇陛下)の教育係となる。
その顔合わせで総勢7人のささやかなお茶会が開かれた。
勿論、主賓は昭仁親王である。その初顔合わせの時における小泉の昭仁親王の記述が面白い。
「くりくりと動く黒い眼を興味があるものになると、より一層輝かせ、更にくりくりとさせる。
実に聡明な若者とお見受けする。お尻がプリプリと可愛く動いていた。」
(正確には覚えていないのだが、おおよそこのような文言)
この最後の「お尻がプリプリと」というような発言が許される、って、そんなに
自由な時代だったのかしらん・・??
TVの番組を作った方も「ここ」を強調したかったらしい。
皇太子は当時13歳だったというけど、未来の天皇と初顔合わせでこんな発言・・!?
つまり、発表した文章や、正式に何かに記載したものでは無かった、ということなの
かしらん・・??
*********
「1月31日」締切で、成年後見監督人の弁護士に郵送すべきだった「成年後見報告書」も
まだ出来ていない・・!!
「2月15日}締切で、顧問税理士に郵送すべきだった「確定申告」の資料2人分
(母の分とワタクシの分)も、まだ出来ていない・・!!
今頃迄には「出来上がっている予定」で、用心はしながら、だったが、既に幾つかの
外せない用事(病院、クリニック、等)、約束が幾つか入っている。
「pcを少しだけ」なんて思って、開いてしまうと、ついついブログページで時間を
過ごしてしまう。
「気晴らし」「気休め」に、なんて言い訳しながら。。
そこで、ここは心を鬼にして(?)自らに「ネット禁」を課すか?
とも思ったのだが、WordとExcelは嫌でも使わざるを得ない。
つまり毎日、pcを開く。
で。
基本、お邪魔するだけで「コメントは書かない。我慢する!」
時間と相談で可能な時だけ「nice!」と押す時があるかもー?
と、ちょっと自分に甘々だが、出来ない課題を課すよりは良いかと軟弱者は思う。。
そういうわけで、暫く適当にお休みしながら、こちょこちょ「nice!」だけ押しに
やって来るかもしれません。。ご容赦下さい。。
お雛様。。 [徒然雑感]
2024年(令和6年)のお雛様。
母がお世話になっている施設に飾られているお雛様。
なかなかに立派だが、そこに住んで居る居住者たちには
なかなか見られないかもしれない。
このお雛様は玄関ロビーに飾られていて、居住者の部屋は全て
2階以上にある。
1月から「報告書」と「確定申告」と悪戦苦闘している。
先々週はとにかくとっちらかっていた。
先週はあの雪の中、主人がどうしても帰省しなくてはならない事になり、
飛行機もなんとか飛んで無事に帰省出来た。
その間、書類をやりこむつもりでいたのだが、体調を崩してしまい、
殆ど寝込んでしまっていた。
母も主人も居ない、ワタクシ一人きりなので、まともに寝る事も出来ず、
食べる事も出来ず。。
ちゃんと食べてちゃんと寝れば、すぐにも元気になれそうには思ったのだが、
それが出来ない。
入っていた予定も殆どキャンセル、か、延期。
母の週一の面会も勘弁して貰った。
今日、2週間ぶりに母の面会に行った。
いつも面会の時には差し入れを持参する。
多少嵩張る物や重い物もあるので、長い事リュックサックを使っていた。
半年くらい前にリュックの肩側の中央にある手を掛ける部分が取れてしまった。
(名称が不明)
今日、母の施設に向かう折、リュックの右側のベルトの縫い目が
ちぎれそうになっていたのを見つけた。
途中でベルトが切れても仕方が無い、と、なんとかうちに戻る迄
無事で居てくれるよう祈るようにして出掛けた。
帰途、某駅で一回リュックを下ろし、再度背負おうとした時、
まさに「ブチッ」と音がして、見事にベルトが切れてしまった。
うち迄は後僅かだが、かなり重いリュックを背負って、かつ、
両手にも荷物を持ってー。
右のベルトを荷物を持った左手で押えながら家に向かった。
まあまあ順調に帰宅できたが、いつもの2倍3倍疲れ、うちに戻ってから
何もする気がしない。
お腹がペコペコで食べたい衝動はあるのだが、食事の支度がどうにも出来ない。
昨日帰京した主人は先に自分の分だけ用意して既に食べてしまっている。
ので、そちらの心配は要らないのだがー。
とにもかくにも「どうぅっ!」と疲れてしまった・・!!
この状態で。まだまだ書類との格闘は続く。。
大雪警報!! [徒然雑感]
---中央奥は西新宿高層ビル街
関東に。それも都心に!!(「も」と言うべきか?)
2月5日(月)の昼過ぎ頃からチラチラと降って来て、時々霙に変わったりも
しながら、夕方には積もるようにもなって来た。
昨今の暖冬傾向もあり、雪は降っても「降る」というより「舞う」と言う感じで、
滅多に積もる事は無かった。
明日の朝まで降り続く予報だが、5日の23:00時点で「約10cm」もの積雪に
なっているそうだ。
旅行や仕事で、または法事などで長距離移動をせざるを得なかった方々がもう大変!!
受験で上京して動けなくなった、なんて学生さんもいらしたー。
なんとか最小限の被害で済みますよう・・!!
主人がよんどころない用事で、急遽帰省しなければならなくなった。
南九州迄。
昨日=5日に飛びたかったのだが、飛行機が取れず、仕方なく今日=6日になった。
それもかなりの争奪戦の挙句ー!
が、そのチケットも無駄になるかもしれない・・??
昨日深夜のニュースで飛行機の欠航決定が続々とニュースになっていた。
今のところは飛ぶらしいがー。
なんとか無事に飛行機が飛んで欲しい・・!!
<2024.02.06.夜追記>
皆さま、ご心配頂きありがとうございました。
主人はお昼頃の飛行機で無事帰省出来、早速今回の用事に邁進しています。
飛行機そのものより飛行場迄、無事に行けるか?とも少し心配しましたがー。
朝のうち、通勤ラッシュの時間帯にはあちこちでトラブルもあったようですが、
昼前に都内の交通機関は殆ど回復しており「あえて」遅めの飛行機にした
かいがありました。
元々「晴れ男」の主人ですが、雪にだけは過去にも何回か泣かされたことがありー。
ともかくは無事あちらに着いてくれてほっとしました。