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こどもの日=5月5日-230509 [徒然雑感]

「母の日」の花-230507.jpg

物心つく前から、お正月2日とこどもの日=5月5日は、
母の郷である芝高輪の母の実家に家族全員で行くのが倣いだった。
母の兄弟全員とその連れ合い全員が毎年仲良く集まった。
母は兄弟の下の方だったので、ワタクシが行くようになる頃には年かさの
従兄弟たちはもうその集まりには来ない人が多かった。
お正月は純粋に親類の集まりだけであったが、5月5日は実家の近くにある
「清正公(せいしょうこう:加藤清正公)」のお祭りでもあり、実家の前の
大きな坂に縁日が出て、子供達にとってはまさにパラダイスだった。
昼は勿論だが、夜の縁日はまた子供心を大いにくすぐる!
普段なら夕飯までには家に帰らなくてはならないのに、この日ばかりは無礼講。
夕飯(それもご馳走!)を大勢で食べ終わってから、食休みがてら縁日に乗り出すのだ。

従兄弟たちは大体男女同じくらいの比率だったのだが、何故か年が下の方は
男の子ばかり多く、ワタクシは遊び相手がいつも居ない、ちょっと寂しい親戚の
集まりでもあった。

その集まりも、母の兄弟がポロポロと欠けていき、連れ合いも
だんだんに亡くなっていき。。
従兄弟たちは来なくなっているので一時期とは比べ、随分と寂しい集まりに
なっていた。

そんな中、コロナ渦がやって来て、丸3年も「お祭り自体が自粛」になった。

今年、4年ぶりに復活するという。
母の実家を継いでいる従兄弟から連絡を貰い、久しぶりの「5月5日」の
ご招待を受けた。

残念乍ら母は行かれない。
名代で行く、なんていう程気張ったものでもないが、母と仲の良かった叔母とも
相談し、伺わせて頂く事になった。
母の兄弟も今では参加出来るのはこの叔母一人になった。
他の伯母達は、今やヘルパーさん頼みの生活になっていて、
病院と近くの買い物以外には出掛けない、出掛けられない、という。

実家の伯母も大病をして入院し、無事退院したものの、リハビリの毎日、とか。
その他の大人たちも「畳には座れない」人が多くなっていた。

母の実家では、従兄弟の長男が結婚し、3歳の男の子とお誕生日前の女の子の
二人も孫が生まれていて、寂しくなる一方だった集まりの席が、また
新しい小さな命を迎えて、賑やかに楽しい語らいの場となっていた。

こうして受け継がれていくのだなぁぁ。。
と実感させられた数時間だった。。

夕方、失礼する時に、大縁日を久しぶりに歩き、清正公をお参りしてから帰途に就いた。

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