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向日葵(の長い)メモ-2021.01.20.未明 [徒然雑感]

12月初旬。母、急変。

CT検査等。

もしかしたら「一過性の脳梗塞だったのかも?」と医師。

12月下旬。母、「包括支援ケア病棟」に入院。

今すぐ命にどうこう、は無い。

コロナ渦でお見舞は一切NG。


クリスマス明け、主人、南九州へ帰省。

約半月の予定。

義理の母も大分弱り、介護が必要。

が、頑として施設入所はNG.

義母は亡くなった義父の介護を20年間、一人で続け、

義父が逝った時は、もう身体がガタガタだった。

一時的に施設に入った。

三食食べ、夜は寝る生活になり、みるみる元気になった。

すぐに「うちへ帰りたい!」

と口癖になった。

確かに介護する負担は無くなった。

しかし、自分以外の人の気配が皆無の「一人きり」の生活。

山合の田舎の広い広い家で。

主人が年に5-6回は帰省する。

義母は、その度に悪くなっいる。

年もあるが、片目、片耳、片足、と順々に悪くなった。

今回も、松明けには帰京する筈が、義母の健康状態が良く無いから、と、

1月半ば迄、時期をずらしていた。

そのせいもあり、帰京後のスケジュールはビッシリ!


と、その主人が、帰京する予定だった日の二日前。

義母が、主人の目の前で、家の中でつまづいたらしい。


義母は動けなくなった。

翌日痛みを訴える義母を病院へ連れて行くと、案の定「骨折」しており、

三週間から1ヶ月の入院となった。


また、頃合いを見て、病院から、施設への移動も決まったらしい。


主人は1月中に帰京に出来るだろうか?

義母の転院、施設への移動、と親戚にも頼めない。

いちいち支払いのお金が要る。

細々とした雑用もある。

長年、何くれとなく世話してくれていた主人の従姉妹達も年を取り、

自分たちや家族の病院通いで忙しくなっている。

数年前に、

「もう今までのようには手助け出来ない。自分の事で精いっぱい。」

とやんわり断られていた。



ワタクシは生まれて初めて「一人切り」のお正月を過ごした。

その前後も暮れからずっと「一人切り」。。


三が日が終わって、毎年恒例の書類戦争が始まった。

その間、松明けに、見聞きするところの「アナフラキシーショック」に

酷似した症状を起こし、2時間余り、死ぬほど苦しんだ。

この時、不思議と「救急車」を思いつけなかった。

初めての体験でビックリしたのと苦しかったのと。

訴えようにも誰も居ない。


暮れからこっち、軽いのも重いのも取り混ぜて、

時々、例の心臓バクバクの発作に襲われた。

こちらは慣れているし(?)対処法も分かっているのでなんとか。。。



あ、そうそう。

その間にpcが不具合をー!

うんともすんとも。。

主人のpcも一緒に繋いでいるのだけど、どっちも全く動きません!!

仕方なくまたプロの先生に来て頂き。。


即解決!  --でも痛い出費!!







「一人切り」はやっぱり怖い。

やっぱり寂しい。。



お義母さんも長い長い間、本当に本当に寂しかったろう。。

辛かったろう。。


お義母さんより30以上も若いワタクシですら「一人切り」は結構堪えたもの。。

しかもその長い長い間、お義母さんは、口すら効けなくなった、

全身不随のお義父さんをずぅ~~っと介護されていたんですよね。。

本当に頭が下がります。。







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