寝不足の証明・・? [徒然雑感]
今朝、母が今日=金曜日から来週月曜日まで「ショートステイ」
(お泊りケア)に行った。
送ったその足で、昨日、聖路加病院まで母を連れて行き、
骨粗鬆症の注射=「プラリア」を打って貰った時に貰って来た処方箋を持って、
近くの薬局で、母の薬を貰って来た。
半年に一回の注射で、今までのどの薬より劇的に効く、と言う事で、
出初めの頃は、結構整形外科医にも不安視する方が多く、
母も初めは掛かり付けの整形外科医の猛反対に合って実現できなかった。
度重なる背骨の圧迫骨折を繰り返し、痛みを堪える母を世話するのは
正直とても辛かった。
まだ、「骨セメント療法」なる手術が、その存在すら一般的ではなかった頃、
たまたま何かで情報を得、その掛かり付け医の同意も貰い、
聖路加病院への紹介状も書いて下さった。
たった3泊4日の手術ではあるが、理屈は簡単なのに、
その実現は技術的にとても難しい!!
母は「あっ!」と言う間に回復し、フォルテオと言う2年間の
毎日の自己注射も頑張り、
「骨密度は70歳代前半」
と言う診断まで頂けた!!(実年齢は80代半ばである。)
軽く尻もちをついただけで、いとも簡単に圧迫骨折を繰り返していたのにー!!
その2年間のフォルテオ注射の後は「プラリア」と言う半年に一度の強力注射だった。
こちらは医師にしか打てない。
近所の整形の掛かり付け医があまりに反対するので、仕方なく
初めは諦めて従っていたのだが、せっかく「骨セメント療法」と言う手術を受け、
2年間毎日の自己注射に寄る「フォルテオ」も頑張ったのに、
「プラリア」が出来ないのはあまりに片手落ちだ。
約1年間の我慢の末、半年ごとに聖路加病院迄通うことを決め、
以降、ずっと通っている。
電車とタクシーで大体「4-50分」と言ったところ。
(車椅子での外出ではちょっと厳しい。。)
昨日=木曜日の午後、聖路加迄行って、夕方無事帰宅したが、
殆ど同じ時間に弟が来訪。
母が喜んで対応していた。
母の希望とは言え、弟を招いたのはワタクシだったのだが、前もって用意していた
ご馳走を並べ、弟を主役に母と主人とワタクシと、4人で楽しく語らっていた。
お酒も入り、ご馳走もお腹に収まって。。
だんだんに気分が悪くなっていく。。
「あ?なんかやばい?やばそう・・?」
と思っているうち、トイレに中座したワタクシは、そのまま席に戻ることが
出来ず、布団にダイブ!!
何度か呼ばれたのだが返事も出来ない。
「帰る、ってよ~!」
と母の声は認識できたのだが、返事はやはり返せない。
2-3時間経って、ようやく起き出すことが出来たのだが、
「いくら身内でもあれは無いわよ。酷くない?」
等々、母から散々にお小言を頂戴した。
ワタクシが寝込んでいる間に、主人と弟とで、あらかた片づけてくれたようで、
洗い物も拭いて仕舞う食器類も殆ど綺麗になっていた。
感謝あるのみ・・!!
母のトイレ、就寝準備、等々は、「ワタクシにしか出来ない」ので、
母はワタクシが寝込んでいる間ずっと、トイレを我慢してくれていたようだ。
具合が悪くて寝こんでいて、「起きてすぐ」のトイレ介護、その他の片づけ等、
「きつくない」と言ったら嘘になるが、寝込むことが許されただけ有難い。
そんなこんなのてんやわんやの昨夜が過ぎてー。
今朝はゆっくり目の時間に、母のショートステイのお迎えがあった。
母を預けて「ほっ!」としたのか、母が出発した後、近くの薬局迄
足を伸ばしたのだが、足が鉛のように重く、息もぜえはあとかなり苦しい。
「これは不味い!」
と思い、薬を受け取ってすぐに取って返した。
11:30頃から16:30頃まで、椅子に座ったまま布団に行く事も出来ないまま、
約5時間、眠りこけた。眠り続けてしまった・・!!
今度は主人から山ほどのお説教。
「君が寝込んだお陰でこっちの予定が散々だ!」
「こういうことなら、もう人は呼べないよ!」
はい、ごもっとも。。
ごめんなさい。。
この程度でダウン(?)してしまうとは!!
すっかり体力も落ちたみたい。。
加齢も勿論だけど、日頃からの不摂生、寝不足が効いたなぁぁ。。
(お泊りケア)に行った。
送ったその足で、昨日、聖路加病院まで母を連れて行き、
骨粗鬆症の注射=「プラリア」を打って貰った時に貰って来た処方箋を持って、
近くの薬局で、母の薬を貰って来た。
半年に一回の注射で、今までのどの薬より劇的に効く、と言う事で、
出初めの頃は、結構整形外科医にも不安視する方が多く、
母も初めは掛かり付けの整形外科医の猛反対に合って実現できなかった。
度重なる背骨の圧迫骨折を繰り返し、痛みを堪える母を世話するのは
正直とても辛かった。
まだ、「骨セメント療法」なる手術が、その存在すら一般的ではなかった頃、
たまたま何かで情報を得、その掛かり付け医の同意も貰い、
聖路加病院への紹介状も書いて下さった。
たった3泊4日の手術ではあるが、理屈は簡単なのに、
その実現は技術的にとても難しい!!
母は「あっ!」と言う間に回復し、フォルテオと言う2年間の
毎日の自己注射も頑張り、
「骨密度は70歳代前半」
と言う診断まで頂けた!!(実年齢は80代半ばである。)
軽く尻もちをついただけで、いとも簡単に圧迫骨折を繰り返していたのにー!!
その2年間のフォルテオ注射の後は「プラリア」と言う半年に一度の強力注射だった。
こちらは医師にしか打てない。
近所の整形の掛かり付け医があまりに反対するので、仕方なく
初めは諦めて従っていたのだが、せっかく「骨セメント療法」と言う手術を受け、
2年間毎日の自己注射に寄る「フォルテオ」も頑張ったのに、
「プラリア」が出来ないのはあまりに片手落ちだ。
約1年間の我慢の末、半年ごとに聖路加病院迄通うことを決め、
以降、ずっと通っている。
電車とタクシーで大体「4-50分」と言ったところ。
(車椅子での外出ではちょっと厳しい。。)
昨日=木曜日の午後、聖路加迄行って、夕方無事帰宅したが、
殆ど同じ時間に弟が来訪。
母が喜んで対応していた。
母の希望とは言え、弟を招いたのはワタクシだったのだが、前もって用意していた
ご馳走を並べ、弟を主役に母と主人とワタクシと、4人で楽しく語らっていた。
お酒も入り、ご馳走もお腹に収まって。。
だんだんに気分が悪くなっていく。。
「あ?なんかやばい?やばそう・・?」
と思っているうち、トイレに中座したワタクシは、そのまま席に戻ることが
出来ず、布団にダイブ!!
何度か呼ばれたのだが返事も出来ない。
「帰る、ってよ~!」
と母の声は認識できたのだが、返事はやはり返せない。
2-3時間経って、ようやく起き出すことが出来たのだが、
「いくら身内でもあれは無いわよ。酷くない?」
等々、母から散々にお小言を頂戴した。
ワタクシが寝込んでいる間に、主人と弟とで、あらかた片づけてくれたようで、
洗い物も拭いて仕舞う食器類も殆ど綺麗になっていた。
感謝あるのみ・・!!
母のトイレ、就寝準備、等々は、「ワタクシにしか出来ない」ので、
母はワタクシが寝込んでいる間ずっと、トイレを我慢してくれていたようだ。
具合が悪くて寝こんでいて、「起きてすぐ」のトイレ介護、その他の片づけ等、
「きつくない」と言ったら嘘になるが、寝込むことが許されただけ有難い。
そんなこんなのてんやわんやの昨夜が過ぎてー。
今朝はゆっくり目の時間に、母のショートステイのお迎えがあった。
母を預けて「ほっ!」としたのか、母が出発した後、近くの薬局迄
足を伸ばしたのだが、足が鉛のように重く、息もぜえはあとかなり苦しい。
「これは不味い!」
と思い、薬を受け取ってすぐに取って返した。
11:30頃から16:30頃まで、椅子に座ったまま布団に行く事も出来ないまま、
約5時間、眠りこけた。眠り続けてしまった・・!!
今度は主人から山ほどのお説教。
「君が寝込んだお陰でこっちの予定が散々だ!」
「こういうことなら、もう人は呼べないよ!」
はい、ごもっとも。。
ごめんなさい。。
この程度でダウン(?)してしまうとは!!
すっかり体力も落ちたみたい。。
加齢も勿論だけど、日頃からの不摂生、寝不足が効いたなぁぁ。。